今日も適当に見繕ってみました

ってコトで、例によって、適当に気になったニュース・話題とかをー。




車椅子の男性、病院エレベーターに3日間閉じこめられる

3日目の12日、看護婦がエレベーターの故障に気がついたため、シュミットさんはようやく救出された。シュミットさんの息子が父親の捜索を頼んだが、捜索隊は病院内を一通り探した後は、近くの運河の底をさらっていた。



いやー……。最近は日本国内でも、某エレベーター会社の製品への不信感・不安感が高まってますが、流石は海外、同じ故障やら閉じ込め事故でもスケールが違いますなぁ、とか言ってみたり(汗)。
しかし、3日間も孤独なエレベーターの箱の中にいて、そしてたった1箱のビスケットで生き延びたという、この結構なお歳の男性の体力 & 精神力にも驚きですが、3日間もエレベーターの故障に気付かずにいたっつーその病院のスタッフのウッカリさ加減にも、かなり驚きだよなー……とか思ったり。
っつーか、3日間もエレベーターの故障に気付かない = エレベーターを使わなくても問題無かったって、そんなに繁盛してないというか、他に患者とかいないのか、その病院は(--;




FIFAが誤審認める 日本にPK与えるべき

国際サッカー連盟(FIFA)のジーグラー広報部長は14日、1次リーグF組初戦で日本がオーストラリアに1−3で敗れた試合の後半に誤審があり、日本がPKを得るはずの場面があったと話した。



あー……。まぁ何つーか、そうやって自分達に非があったのを認め、同じ間違いを繰り返さないようにするっつーのは、決して悪くないことだとは思うんですけどね。
でも、これよりちょっと前に出た「オーストラリア戦での日本の得点は間違いだった」という審判のコメントの件もそうなんですが、これらサッカー等のスポーツに限らず、後になって間違いに気付いてもそれを巻き戻してやり直すことが出来ない物事へのジャッジ・判断については、それをこうやって後になってから 「あれは間違いだった」 とか言い出してしまうのは、自らの非を認めないことよりももっと良くないコトだと思うんですよねー、個人的には。
たとえ、後になってからそれが間違いだと気付いたとしても、「その時はそれが最良の判断だと思った」 とか 「だが私は謝らない」 とか(苦笑)、そーいう気丈さ・ある種の傲慢さってのがジャッジを下す人間には時には必要だよなー……と、そーいえばここ数ヶ月ほどTRPGをやっていないことを思い出しつつ、ふとそんなことを考えてみたり。
や、だってTRPGにおけるGMだって、ある側面では一種の審判みたいなものじゃん?(苦笑) で、「GMはゲーム進行中の自らの判断を巻き戻してはいけない」 と言われているってコトを考えると、この審判だって同じなんじゃないかなー、と思ったという次第で。まぁつまりは、色々と仕事絡みでストレスも溜まってるし、その辺の気晴らしにたまには久し振りにTRPGがしたいなぁ、と最近思ったり思わなかったり……ってのが今日のオチってコトでー(^^;