こちらも大変長らくのお待たせでしたが

課題図書としての分配後、何だかんだと言い訳を付けてはずるずると読むのを先延ばしにしてしまい、結局は、気が付けば9月に入ってからの読了報告となってしまいましたが、それでもどうにか本日、太宰治氏の 「走れメロス」 を読了致しましたことを、ここにご報告致します。走れメロス (角川文庫クラシックス)

この苦しさは、いつ何の糧となるのか

いやー、今回はマジで読むのに時間が掛かりました(汗)。それというのも、元々自分はあんまりこういう年代ものの作品を読まない人間なので、太宰氏の作品を読むの何ざ、学校での授業以来ということは実に数年ぶりという有様でして。
とは言っても、別に文章自体は現代の文章にしっかり直されているし、極端に当時の時代ならではの複雑な内容が描かれているとかということもないので、“文章を読む”ことそのものは、それほど難しいワケじゃ無かったんですけどね。
……では、何が難しかったかというと。何と言いますか、どーにもこの“私小説”という文章の書き方がねー……。いや、そもそもが自分の身に起きた出来事を題材に書くんですから、そこに盛り上がりやら何やらがあろうと無かろうと、あるいはどんな結果が待ち受けていようと、それが事実である以上は、“そういうもの”として捉えるべきであり、その上で文章を味わうべきである……というのは、一応頭では理解できてるんですけどね。
でも、どーしても最近の小説にばかり慣れていて、比較的キッチリとした起承転結やら物語の進行やらってのに慣れてしまっている自分としては、如何に普段の生活でイヤなコトがあったか、みたいな話を延々と読まされるというのは、いくら文章に独特の味わいがあるとはいえ、それはそれで結構苦痛な面もありまして……。
その辺りが、やはりどうしてもこの本を読み進める上でネックになっていることが多かったように思えました。
……と、色々と不満らしきことも言わせて頂きましたが。それでも、様々な体験を通じて、ついつい心中ばかりに目が行ってしまう部分はあるものの、その裏に隠された彼の本来の性格や、あるいは辛い日々による苦悩などが色々と見て取れたというのは、なかなか読んでいて有意義であったように思えましたねー。
前述の通り、自分はそれこそこういう機会でも無ければこの手の小説は読まない人間なので、そういう意味でも、今回のこの企画による読書は、読むことこそ困難だったものの、それに見合うだけの得るものがあったものであったように思います。……というか、せめてそう思いたい(苦笑)。


なお、一応は“書評”ということで、「自分がこの本を読んでどう思ったか」 という話だけではなく、本の内容についても何か触れるべきかとも、少しは思ってはいるんですけどね……。ただ、どーにも敷居が高いというか、果たして自分のようないい加減な読者が太宰氏の作品なんかに書評を付けて良いものかどうか、非常に迷う部分もありまして。
それでも、敢えて何か書くとすれば……んー、とりあえず、「走れメロス」 は定番ではあるものの、改めて読み返してもなかなか味のある作品だと言えますね。あと、何気にこの作品ってメロスの友人思いの善人な部分ばかりがクローズアップされるけど、この本に収録されている他の太宰氏の作品の流れや雰囲気から言えば、実はメロスって十分に悪人扱いされても止むを得ない程度に自分勝手だよね、とか(苦笑)。
あとは、他の収録作品の中では、個人的には 「おしゃれ童子」 なんかが、結構すんなりと読めた感じでしたねー。懐は寒くても、外見だけは見繕うとする自尊心ってヤツには、なかなか共感を覚えてしまうものがあるじゃないですか、とか言ってみたり(^^;


とにかく総評としては、本のタイトルとしては、恐らく誰もが一度は読んだことがあり、大まかな粗筋程度なら覚えているであろう作品、「走れメロス」 が表題作となっておりますが、その実としては、太宰氏の苦悩が滲み出るような私小説的な作品ばかりが集められているこの一冊。
走れメロス」のような、太宰氏のフィクション作品を読みたいという方にはあまりオススメはし難いものがありますが、これからの秋の夜長等に、太宰治という人間の一生についてじっくりと考えてみたいという方、あるいは、私小説とはどんなものかを考えてみたい方。
そういった方は、恐らくまだ書店に行けば夏のフェアの残りとしてこの本も置いてある所が多いでしょうし、いっそこの機会に読んでみるのも、なかなか良いのでは無いでしょうか。……ただ、とりあえず自分は、もうちょっと身の回りで幸せなことでも起きるまでは、この人のネガティヴな文章に触れるのは、またしばらくはお預けでイイかなー(苦笑)。


→ 合計:043冊(小説20冊 / 漫画16冊 / その他7冊)