手短にだけど、一応書く

あんまりにも書評とかを書くのサボると、カンとかが戻らなくなりそーなんで(苦笑)短めになるとは思うけど、この辺で1度書いておくことにする。
ちなみに本日取り上げる作品はコチラ、個人的にマジで敬愛する作家、清涼院流水御大の作品で、「カーニバル一輪の花 (講談社文庫)カーニバル一輪の花 (講談社文庫)」です。

普通の祭りは、準備や前夜祭が一番面白いのだけど

知ってる人には今更だけど、この作品を取り上げる上で、予め知っておいた方が良い話を1つ。この作品は、1997年に講談社ノベルスで発刊された「カーニバル・イヴ―人類最大の事件 (講談社ノベルス)」を文庫化した、一種のリメイク作品です。
……ただし、リメイク作だからといって侮る無かれ。やはりそこは清涼院流水御大、ただ本のサイズを縮めただけではなく、文庫化にあたって、かなりの改稿をしてくれており、私も含めた、ノベルス版を既に読破した人も楽しめる仕様となっております。


もともとの講談社ノベルスの「カーニバル・イヴ―人類最大の事件 (講談社ノベルス)」が、その後続いて発刊された、「カーニバル―人類最後の事件 (講談社ノベルス)」と「カーニバル・デイ―新人類の記念日 (講談社ノベルス)」と1つのセットになっていたように、この本も、この後「カーニバル 二輪の草 (講談社文庫)」〜「カーニバル 五輪の書 (講談社文庫)」まで続き、5冊で1つの作品となるようになっており、この1冊目は、いわばそのプロローグ・序章とも言える作品なんですが……。
いやー、流石は清涼院流水御大。超大作のプロローグだからといって軽く流すのではなく、独立した1つの読み物としてもきっちり楽しめる作品に仕上げてくれています。
この辺は個人の主観が多分に入る部分なので、評価は分かれるかと思うけど、清涼院流水御大の作品が共通して持つ大きな特徴の1つに、その作品を読む時のリズムの良さってのがあるように思います。
段落一つ一つを敢えて短く切ってしまっている部分なんかは、長文に慣れていない人も疲れずに読むことが出来るようにするという、ライトノベルスで多様される手法と同様の手法だし、それも作品のリズムの良さを支える要因の1つだとは思うけど……それ以上に、言葉の響きや繋がりが計算された並びになっており、何てゆーか、一度その流れさえ掴んでしまえば、後はさらさらと流れるように文章を読み進めることが出来るんですよねー。
勿論、必ずしも全ての文章が流れるように読めるワケではなく、ある程度はその流れが止まってしまうような文章が書かれた箇所もあったりします。ただしそれは、作中での用語や状態の説明等で必要に迫られてのものだったり、あるいは、その文章を“読ませる”ことそのもので、その場の雰囲気を表現するために使われたものだったりと、流れが止まっても読者を飽きさせない工夫があったりして、それが御大独特の罠だといくら頭では理解していても、ついついハマってそのまま作品に引き込まれてしまうカンジなんですよねー。


あと、これは作品というか文章の中身そのものとはあまり関係がないんだけど、御大の本の特徴として、文字数が非常によく計算されてるってのがありますね。ってゆーか、何で何行にも亘って各行の末尾がキレイに揃ったりするかなー(笑)。
いや、勿論それは綿密な計算があってこそ出来る代物なんでしょうけど。それにしても、本当に圧倒される程に見事っすよコレは。あ、勿論、読んで文章の意味が通るってことと、読んで面白い文章であるってことは当然の前提ですが(^^;


講談社から出ているとはいえ、御大本人がミステリに拘っている訳ではないと言っているように、この「カーニバル」シリーズも含め、正統派だったり本格派だったりするミステリファンからは、幾度と無く批判の対象となる御大の作品。まぁ私自身、御大の作品は良くも悪くも絶対にミステリじゃないと思ってるんだけど(苦笑)。
それでも、エンターテイメント・読み進めるだけの娯楽として作品として見る分には、複雑なトリックなどもなく、非常に良く出来た作品であると思われるこの1冊。
とは言っても、この「カーニバル」シリーズは、「コズミック」と「ジョーカー」という、独自の世界観を持つ「JDCシリーズ」の前作品を経て成り立つ作品なので、なかなかこの作品から御大の作品を読み始めるのは(世界観の理解も含め)難しいとは思いますが、少しでも御大の作品を読んだことがある人は、ノベルス版「カーニバル」シリーズを読んだ経験の有無を問わず、読んでみることをオススメします。ノベルス版に比べ、読みやすさもかなり上がってると思いますし、何より、御大の作品が好きなら、巻末袋綴じのエピソード集は非常に面白く読めると思いますよ。